日々是好日人のダベリ

『秋の峰床山』山歩きに行って!

ご無沙汰いたしおりました地域の山歩きの会のメンバーの方々6人(60~77歳)と八丁平から峰床山(970m)への山歩きに行ってきました。11月29日は、雲一つない快晴で出町柳から朽木行きの7時45分のバスに乗り、1時間程で滋賀県葛川(かつらかわ)中村小学校前で降りて林道を30分歩いたところで、山道に取り掛かり杉林の中の雑木のある急な登りが続き、途中で小川に架かった濡れて滑りやすく朽ちかけた木の橋を3ヵ所渡ったりの道中、2時間で中村乗越(のっこし)と言う滋賀から京都への尾根越えをすると、八丁平と言われる5haある大きな湿原地帯が開け、池は見えませんが清く澄んだ湧水の川がありました。湿原の真ん中辺には、鹿から在来樹木を食べられない様に金網のネットで囲われた所がありました。湿原の周辺は、コナラ・クリ・ブナの雑木林で、歩く山道には栗のイガやドングリが一杯落ちており一緒に鹿のフンの塊りも多く、周辺の木の肌も人の背くらいの高さから下までの根っこの所まで木の皮を剥いだ後が生々しく痛々しい有様でした。厳しい冬が来る前の栄養を蓄える大切な時期なのでしょう。湿原の中の板を渡した通路を過ぎ、30分で峰床山へ到着。頂上からの見晴らしは稜線止まりで青い杉林で紅葉には遅く葉を落とした裸木が連なり残念でした。昼食・気温6℃。バスが着いた時のあの青空が、曇って来てその上、時雨が降りだして合羽を着たり脱いだりと一騒動しました。冷たいお弁当・お茶での食事は思わず寒さで鼻水と涙が出て来ました。他のパーティーと相前後して一緒になったので、お互い山頂標をバックにパーティーの集合写真の撮り合いをして早々に下山にかかりました。帰りの下りは、私も含め3人とも、登りに関節を痛めてゴムで関節の上下を縛って杖を使って膝への負担をカバーして歩くのに大変でした。行きと同じ道なのですが、周囲を見ずに足下ばかり見つめて登って来たので同じ道とは思えず、新たな風景で楽しめ又、膝の痛さに耐えながら林道へ下りて来ました。林道の平道になると痛さは治まり何時もの歩行となり案心しました。お天気も最後には晴れてくれました。帰ってからの関節・足の疲れをとる方法を仲間の人にお聞きすると、先ず、お風呂に入って身体を十分温めてから風呂の中で膝から下のスクワットを20回をすれば良い。風呂の中で、足指を一本一本指で掴んでブルブルとマッサージして風呂から上ってから土踏まずにサロンパスを貼れば良い。アルコール抜きの食事の後、痛さを止める『イブ』の錠剤を飲めば消炎作用で治ると教わりました。言われたことを全部致しまして、今日ここに報告いたしますと、本当に・本当に朝起きると関節は勿論、どこにもあの痛さが消えてしまって、その上、朝の散歩に1時間ほど行きましたが何の異常も無くとても不思議でした。経験の豊富な皆さんは、さすが亀の甲より歳の功のお知恵を頂きました。今回の山歩きは、きれいな紅葉には間に合いませんでしたが、地域の仲間とお喋りしながらの山歩き、皆で気をつけ合いながらの川渡り、谷歩きを通して終日のお付き合いに、きれいな楽しい仲間意識を感じました。
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今回の山歩きの仲間の方々
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登山口の中村小学校のもみじ
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中村小学校の校庭のもみじ
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葛川中村のコロガキ
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モミジのグラデュエーション
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より良い環境は生物・人間には大切なこと!

紅葉が映える秋になると、京都の由良川にも鮭が産卵のために帰ってくる季節となります。春に稚魚を放流して3年目の秋に元の川に産卵して一生を終えんが為に帰って来る事は、皆さんも知っていることでしょうが本当に不思議としか言えないように思います。生まれて放流された時の川の水を、脳のどこかにインプットして、外海に出て回遊して3年後にインプットされた川の水を探しながら元の川へと帰るということは、同じ生き物として我々人間にも少しは当てはまるところがあるようにも思えます。例えば私は、7月30日という夏の暑い時に生れました。この世に生を受けた第一声が、夏の暑い空気の中での『オギャー』と産婆さんに取り上げられた瞬間を多分脳のどこかで暑い空気をインプットされたのしょうか、寒い季節よりも暑い夏の方が好きなところなどは、鮭の場合と同じ働きの環境(水と空気の違いはありますが)が関与する、いわゆるDNAとも言えるところではないかと思います。人間も生まれてまだ、言葉も分からない時から、やわらかい京言葉と京都御所や寺社に囲まれた山紫水明の環境のなかで、育っていくことは多分文化度もそれなりに備わって行くのではないかと思います。京そだちとは1200有余年のこの土地での先祖からの連綿と続いて来た歴史・時間に裏打ちされた又、伝承されて来たいわゆる洗練された文化の中で生活をすることにより真・美・感性に対する鋭敏さが他所の方々との違いはあるのではないかと思います。それが各々のおらが国さの、お国自慢と言われる県民性となって、どの地方にも素晴らしい優劣の及ばない各々の特徴があると思います。生まれた土地や水や空気などの自然と文化・生活の環境が生物である人間への影響を与えていることは間違いのない事でしょう。幸いにも京都で生まれ育った者としてお国自慢として誇りに思って自然と文化を守りながら、遠くから見直し、又新しく脱皮する洗練された文化となるべく武道や茶・華道で言う守・破・離の心で文化を伝承して、もっと多くの“京都ブランド”を立ち上げて行かなくてはいけないのではないかと思います。うがったことを言うならば『氏より育ち』(諸々の環境)が人間に影響を与えて個々人が形成されていく・・。ニューヨーク市の[割れ窓の理論]の実践で割れ窓の修復・落書きの修復による環境の美化をはかることにより犯罪を撲滅させたように、人間は環境に左右されると言うことが実証されております。劣悪な環境は、人の心を荒(すさ)ませる。個々人をとりまく家族・学校・職場・社会・地域の持ち場・持ち場で、穏やかな美しくここちの良い生活・自然の環境づくりに気をつけて、より良い社会にして行かなければ、秋になり鮭が帰る故郷の川の水質が汚染されますとインプットされた水を探しさまよい帰れなくなり繁殖できずに死滅してしまいます。人間も生物です。ともに生きていける、より良い環境を心がけて行かなければ大変なことになってしまうのではないかとひしひしと感じております。

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